福島・常磐線の代行バスで帰還困難区域を通る【福島第一原発】

福島

こんにちは。青春18きっぷで全国を旅しているてりーぬです。

今回は、青春18きっぷで仙台から東京まで移動した話。とは言っても、今回は最短経路の東北本線ではなく、常磐線で東京まで向かいます。

首都圏在住の方は常磐線と言うと茨城県のイメージが強いと思いますが、本来は茨城県や福島県の太平洋側を通り、上野から仙台までを結んでいる比較的長い路線です。しかし、特に福島県内の区間では東日本大震災による被害を大きく受け、2018年9月6日に私が乗車した段階では一部区間で不通の状態が続いていました。

と言うのも、地震や津波の被害からの復旧が遅れているというよりは、常磐線が帰還困難区域を通っていることが大きな理由です。それが2020年3月14日、一部地域で避難指示が解除されることにより常磐線全線で運転を再開します。

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以前は主に帰還困難区域の不通区間では代行バスが運行していました。私もそれに乗って原発周辺の状況を見てきたので、記録の意味も含めて、写真を多めにお伝えしていきます。

まずは、仙台駅で8:13発の原ノ町行きの電車に乗ります。

ごく普通の通勤電車がやってきました。

しばらく進むと田園地帯の中へ。

駅の周りを見てみると、新しい立派な建物が多い印象があります。徐々に復興が進んでいる証でしょうか。

線路も新しく高架橋を作ったんだろうな、というのがよく分かります。

仙台駅を出発してから約1時間20分、終点の原ノ町駅に到着しました。

駅前にはやはり立派な建物がありました。なんだかおしゃれ。

これは図書館や交流センター、カフェなどの入った南相馬市の複合公共施設。各自治体が気合を入れて施設を作っているというのを感じます。

こちらは原ノ町駅の駅舎。元々のデザインはそのままに、外観を改装しているような感じですね。

この辺りは震災の被害は少なかったのでしょうか、ホームや跨線橋はとても年季を感じます。

続いて、この電車に乗って浪江駅まで向かいます。

原ノ町から浪江駅までは4駅なので、あっという間に到着しました。  

浪江駅も特に新しいといった感じではなく、昔のままの駅舎を使えているようです。

ただ不思議だったのは、このように緑の柵で仕切られていたことと、改札口までは跨線橋を渡るのではなくて特別に線路の上に架けられた通路を渡っていくこと。

それなら改札口に面したホームを使えばいいじゃん?とは思うのですが、なにか理由があるのでしょうか。   

ホームはそのままに見えますが、線路は新しくバラストから敷きなおしていますね。

浪江町と言えば、鉄腕DASHのDASH村があることでも話題になりました。駅周辺は避難指示が解除されていますが、浪江町の内陸部の大部分は未だに帰還困難区域に指定されています。

例に漏れず、駅前には大きな体育館が建設されていました。復興が進むのはいいことですが、本当にこの町に必要な規模の施設になっているのか、復興だからと言って無駄に大きい施設を作っていないか?というのは少々疑問が残ります。

昭和な感じがしていいですね。 

仙台駅から常磐線を使って鉄道で来れるのは、この時点ではここ浪江駅までです。ここから先は、福島第一原発のある大熊町とその隣の双葉町の帰還困難区域の中を通っていくことになります。浪江駅から富岡駅の間は鉄道は不通の状態が続いていました。

そこで、ここから先は代行バスに乗り換えます。駅前には観光バスが1台停まっていましたが、

なんとこれが代行バスでした。只見線の代行バスはマイクロバスだったので、明らかにでかい。

下りは1日6便、上りは1日5便が運行されており、途中の双葉駅・大野駅・夜ノ森駅はすべて通過します。

代行バスはあくまで鉄道の代わりという存在なので、常磐線を経由する切符や青春18きっぷでも乗車することができます。この時の乗客は大体10人ちょっとといった感じで、地元の方というよりはほとんどが私と同族の鉄オタといった感じでした。

車内はもう普通の観光バスですよね。しかも運転手のほかにバスガイドさんも乗車しています。

発車する前にバスガイドさんから「シャッター音が他のお客様のご迷惑とならないよう、車窓のカメラでの撮影はお控えください。」といったニュアンスの案内(めっちゃうろ覚え)がありました。写真を撮られたら不都合なことでもあるのかな…、とか勘繰ってしまいますが、仕方ないので今後は無音カメラで撮影した写真をお見せします。

電車が到着してから19分後、代行バスが出発しました。ここから先は帰還困難区域で唯一の通行路となっている国道6号線を走っていきます。

ロードサイドの店舗は震災当時からそのまま残っていて、入り口は封鎖されています。当然人は誰もいない状態で、草も伸び放題でまさにゴーストタウンの様相。途中1,2か所くらい特別に営業しているガソリンスタンドがあったくらいです。

道路脇に続く道路もすべて通行止めになっていました。国道6号線の通行量は思っていた以上に多くて、大型のトラックがひっきりなしに行き交います。おそらくすべて原発関係の車両でしょうから、それだけ多くの労力が掛けられている証拠でしょう。

そして、ついにすべての元凶に最接近します。鉄塔の奥にクレーンがいくつか伸びているところが、福島第一原発のある場所です。

ひとたび事故が起きてしまえば、今もなお禍根を残し続ける原子力発電所。他の原発も絶対に安全であるという保障などできるわけがなく、自然環境や周辺住民への影響、経済的な損失を考えれば「原発がエコである」などとは口が裂けても言えないと思います。

そう考えているうちに、浪江駅を出てから30分で富岡駅に到着。

客層はこんな感じでした、はい。

代行バスの時刻表です。

ここからはいわき方面の電車が通っていますが、次の電車まで30分ほど時間があったのでちょっとだけ駅前を散策してみます。

このあたりは津波の被害を大きく受けたのでしょうか、道路も建物もすべて新しい。

いかにも土地区画整理をしました、というような整然とした街並みになっています。  

鉄道関係の施設もすべてが新しい。すぐ先にはもう海が見えます。

今もなお土地の整備が進められていました。大きな被害を受けた場所に再びまちを作って大丈夫なの?という気はしますが。

こちらは駅前の売店。コンビニと同様の商品の販売や軽い食事のできる場所がありました。  

駅もすべて1から作り直したようなピカピカの状態でした。 

立派な道路も建設中です。

それでは、そろそろいわき方面の電車に乗車します。2番線の行き先が隠されているのにもの悲しさを感じます。

なぜか特急用の車両が普通列車に使われていました。 

いやー、これは快適。すべての席がボックス席のように向かい合わせで固定されていました。

いわき駅へと向かう列車内から車窓の風景を眺めていました。

堤防も新しく整備されています。

見渡す限りの太平洋。いつもなら「美しい風景だなあ」と感動するところなのですが、震災の爪痕を見た後だとなかなかそうは感じられませんでした。

そうして再び40分程度でいわき駅に到着。

この時点では、いわき駅まで特急「ひたち」が来ていました。

特急に乗れば品川まで行くことができます。

いわき駅もかなり新しいです。

ここでもふらっと途中下車。駅周辺の建物も含めて、まち全体が本当に立派!復興の希望として決して悪いとは思いませんが、ものすごく復興マネーの薫りがします。

工業都市いわきはかなりの賑わいを見せていました。ここから先も引き続き常磐線の普通列車で東京へと向かいましたが、今回の記事ではここまで。

この記事を公開した2020年3月14日から、常磐線は9年ぶりに上野から仙台までの全線で運転が再開します。一鉄道ファンとしては、少しでも鉄道路線が復旧するのはもちろん喜ばしいことです。しかし、未だに復興が進んでいない地区もたくさんあります。

そんな状況で、常磐線の全線開通が手放しに「復興の証」とは言えないと思います。復興はオリンピックのためにするものではない。住民1人ひとりのため、地域の持続的な発展のために行われるべきです。光だけでなく、闇の部分も忘れずに、本当に意味のある復興が実現することを願っています。