どうも、てりーぬです!
前回は「第一只見川橋梁」の絶景撮影スポットをご紹介しました。
今回も引き続き新緑の絶景の中を颯爽と駆け抜ける只見線の旅を。
只見線は会津川口-只見間で大雨の被災による不通が続いており、その区間では代わりにバスが運行されています。そんな運休区間の存在やその先の1日3本しか列車が来ない区間(!)によってなかなか踏み込みづらかった只見線ですが、ようやく乗りつぶすことができました!
代行バスのレポも含めて緑いっぱいの写真を載せていきますよ!
会津宮下~会津川口
時刻は7:34、会津川口行きの始発列車です。この列車に乗らないと乗り継ぎ時間がとんでもないことになってしまうんです。。
会津川口~只見(バス代行区間)
さて、会津川口から先は被災によって不通となっている区間。時刻表の片側が何も書かれていない状態となっていました。
只見駅まで列車の代わりに走っているのが代行バス。駅の前にひょっこりと停まっていました。
こんなマイクロバスで運行しているんですね。切符はいつも通り鉄道に乗るための切符で乗車できます。まず初めに運転手さんに行先を聞かれました。私の他に終点まで乗り通す人が1人、次の駅(停留所?)で降りるという地元の方のような人が1人、合計3人しか乗っていません。
主に線路沿いの国道を走っていく代行バスからは、ちらちらと列車の走っていない線路が見えます。ちょうど線路が途切れている箇所を捉えました。
バス停はこんな感じ。一応元々駅のある場所に停留所が設けられています。
代行バスでも只見線であることには変わりない。バスの車窓からでも田園地帯の美しい景色は十分に楽しめます。
会津川口駅から50分で只見駅に到着!次の列車まで30分ほど時間があったので駅周辺を散策してみることに。
只見~小出
「田舎」を象徴するものの1つに「列車の時刻表がスカスカ」というのがよく挙げられますが、その中でも1、2を争うと言ってもいい衝撃的な時刻表。上り方面へ行く列車はもちろんゼロ、下り方面へ行く列車もたったの3本。これは寂しいですよね。。
踏切の上から新潟方面を見つめると、まだ雪の残った山脈がそびえていました。つまり、あの山脈を超えないと新潟へ行けないということ。それがあの本数の少なさにも繋がっているのでしょうね。
これが現在の只見駅。手前はかつてホームがあった場所なのかな?現在は奥のプレハブのような簡素なホームとなっています。
ホームから、運休している会津川口方面の線路を見てみました。長らく列車が走っていないせいか、雑草に覆いつくされてしまっています。
車内は相変わらずガラガラ。これで新潟の小出駅へと向かいます。
只見線では、只見駅が福島県内最後の駅。福島県で撮った最後の写真が、只見川をせき止めてできた「田子倉ダム」の端っこの写真でした。
只見駅を出ると、次の駅はもう新潟県。次の大白川駅までなんと30分もかかります。さっき見た山脈を長い長いトンネルでくぐり抜けることになるのです。
トンネルから出た後はどんどんと高度を下げていき、魚沼の穀倉地帯らしい風景へと移り変わります。
ガラス張りがきれいな駅舎。ここで上越線に乗り換えて、東京へと戻っていきます。
まとめ
夕方に会津若松を出発して、途中一泊して次の日の午前中に只見線を完乗しました。いつか乗れるといいなと思っていた路線で、ちゃんと「只見第一橋梁」で撮り鉄もできてもういうことなしです。全線を通して新緑の絶景だらけだったのもとても満足度が高いですね。
ただ、今回代行バスを乗って思ったのは、「本当に鉄道での復旧が必要なのか」ということ。もちろん鉄道ファンとしては鉄道で復活してくれると嬉しいんですけどね!ただ、いろいろな視点から考えると、こういう過疎地域で本当に鉄道がベストなのかなって。
只見線ではもうすでに鉄路での復旧が決定しましたが、上下分離方式ということで多くの税金が使われるのだと思います。乗客も非常に少ないですし、近くに立派な道路もあるので代行バスの支障もそれほど大きくないでしょう。
ただ、豪雪地帯ということもあって道路が冬に通行止めになったりすることや、鉄路で復旧した暁にはSLや豪華クルーズトレイン「四季島」が走って沿線が盛り上がるという可能性も十分に考えられ、そういった点も考慮すると鉄道も悪くはないのかなって。
今後はこういう事例がもっともっと出てくると思うので、様々な視点から考察を深めていく必要がありそうですね。災害で不通となっていた福島県の常磐線、大分県の久大本線を訪れた時の様子を紹介します。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。今回の旅の続きの上越線はまたいつか書きたいと思います!お楽しみに!